あたしの癖のせいだと思うんだけど、もっとこう、気楽な人間になれたらいいのになあって思う
いや、端から見たらお気楽人間かもしれないけどね、プー太郎のしょうもないやつなんだけど
最近
休みの日は相変わらず自宅で制作しているんだけど
自宅だと捗らないこととかが出てきて近くの喫茶店行って物書きしてる
ネタ探しのような、勉強のような……勉強なのかなあ……うーん……?
直接制作に関係してないけど、気になる分野を独学してるって感じだから、やっぱり勉強か……今は哲学の分野を、昔から気になってたので調べたり読んだりしてます
それで、やっぱり人のいるところに行くとたまに目にしたり
耳にしたりすることがあって
子連れの方々の、ほんとにたまになんだけど
お母さんとかお父さんが「◯◯しちゃだめ」っていうフレーズが苦手
でも、小さい子って、注意してもきかないから、だめっていうのをしちゃうんだよね
ただ、それって子供が悪いんじゃなくて注意する大人の
注意の仕方が悪いから、同じことを繰り返すんだよね
大人はその行為がどうして悪いのかっていうのが、人生経験として蓄積されてる
理解できているからしないけど
子供ってのは、人生経験なんてこれっぽちしか無い上に、周りを見る能力なんてのは小さい子には難しいこと
目の前のことでいっぱいいっぱいだし、今何が起きているのかを把握するのさえ精一杯だと思う
色々なことをして、人生という真っ白なノートが目の前に広がってる中で一生懸命、右も左もわからない、色々なものが新鮮に映る、勉強している、その真っ最中
そして、たまたま自分のしたことが間違いだった時
ただ、『しちゃダメ』の一言で片付けられたらどうだろう
『どうして』と、思わないだろうか?
子供は、身体が小さいだけで人間という本質は一緒
『それが、どうしてダメなのか』という『理由』の説明をしないかぎり、『ダメな理由を理解していない』子供は同じことをきっと繰り返す
言うこときかないっていうのは、恐らくその『だめな理由を説明する』っていうプロセスを省いた結果なんじゃないかなって思う
そしてその面倒くさいことを、無意識に省いている方が結構いて、すこし寂しい気持ちになる
さっきも言ったけど大人は『経験からの想像力』がある
だから
理不尽に起こられて意味不明
と思うことに
理由を考えるってことができる
それでもわからなかったら理由を直接求める
でも子供の場合
なんで怒られたのか意味不明
となっても、『経験からの想像力』がないから
理由を自分で考えることが難しい
だから、人生の先輩が、その経験をもとに理由を教えてあげる
それでだいぶ変わると思う
と、パン屋にいた頃から思っているのです
やっぱり、子供ってパンに触っちゃうんだよね
その時にお母さんが「触っちゃダメ」の一言でいつも終ってて
理由がわからないから、また、同じことをしようとしては怒られてって感じで
子供に「◯◯の手にね、いま◯イキンマンとカビ◯ンルンがいーっぱいいるから、触っちゃダメなんだよ」
って子供の知っている知識の中で簡単に説明してあげれば
あ、そうなんだって気づいてくれると思うんだよね……
子供をもったことも、結婚もしたことない
人生経験ペーペーのあたしが言うのも説得力に欠けますが
人間を観察してきた上でこの思考に行き着いたので
当たらずとも遠くはないかなと思います
物事の表面を教えてあげる教育ではなく
その奥を教えてあげる、そして、想像させる、探究心を養う教育をしていってほしいなあと
想像するって、優しさを培う大事な要素だからね
これからの家族に願います
っていうなんて堅苦しい内容になっちまたぜ……
何様だよ、ただの人間だよ
まあ、正直な話なんだけど
そういえばまたあの狂気じみた毎年恒例の番組が始まりますが、
愛で世界が救えたら、とっくに救われてるはずなのに、救われていないのはなんででしょうね
きっとまだ、世界が愛で満たされていないのかもしれませんし、
愛という偶像だけじゃあ現実を動かせないのかもしれませんし、
あたしみたいな思考の人間がいるせいかもしれません
きっとね、裏方とか、チャリティー活動とか素晴らしい運動をされてる方が沢山いらっしゃるのだろうけど
あの『愛』の一言でごまかしてる感じがイヤなだけ