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Casper

note、始めました。


どうも、キャスパーです。

冷やし中華、はじめました、みたいな語感を狙ってみましたがいかがでしょう。

ちょっと、狙いすぎですかね。

はてさて、今日の内容はタイトルの通りでございます。

note、始めました!!!

いやあ、思い切って使ってみました。

どうして唐突にノートを始めたのかと言いますと、ちょっと色々思うことがありまして。

その内容を、これからご説明していこうと思います。

ことの発端は、遡ること、今年の4月ですね。

ちなみに私は絵を描いてはいるけどフリーランスではなく、絵で食っていけてないただのしがないフリーターの内のひとりです。

やべえ、自分で文面にするとエグいくらいの攻撃力があるぞ、精神的にくるぞ、これ。

勤め先の女性の先輩とご飯をしようと約束していて、その日出かけたんですね。

その先輩とは以前からよくしていただいていて、作品を見せて、意見をもらうような間柄です。

その時に、ふと、先輩の言葉が引っかかったんですね。

「それは才能だから、誰にでもできることじゃないよ」と。

その言葉は素直にありがたいけれど、はて、本当にそうなのだろうか、と。

『才能だから描ける』っていう、ある種、二極的な答えしか、この国にはないんだろうか、と。

才能があるから描ける、才能がないから描けない。っていう二極。

一般的な感覚というか、普段、絵を『意識的に』描いたりしていない人にとっては、定着しがちな考え方なんではないかと、私は思ったわけですよ。

絵心がないから、私は下手だし、描けないんだ~w

で、全てを丸く収めようとしてるけど、そこの君〜、本当はどうなの?

って思うのですよ、私は。

だって、本当はそうじゃないと、私は思ってるから。

ひとつの大きな、『上手いね下手だね価値観』を擦りこまされる分岐点として存在するのが『学校』ですね。

どうですか、ちょっと思い出してみてください。

他愛もない落書きで、〇〇ちゃん上手いね~!〇〇ちゃんそれ違うよ〜下手~っていう、なんの悪気もない、単純な外見的な判断に、なぜだろう、胸がチクリとする。

子供っていうのは純粋で、経験不足すぎるが故に、言葉の扱い方が下手なんですよ。

だから、ぐさっと真実を言っちゃたりする、残酷ですね。

図工の時間になると、先生からぼんやりと「〇〇くん上手だねえ」と友達は褒められるけど

さて、突然ですが、ここで問題です。

問1:絵が上手いと先生から言われたその子『以外』はどうなんでしょう。

回答例:(もしかして、僕は下手なのかな)

回答例:(私って、下手なのかな)

物心ついてくると、ひとつの事柄に対して想像することができるようになってきますよね。

感覚が鋭い、もしくは気が優しい子ほど、周りの評価を気にするようになってきます。

他人と自分を、無意識に比較するように思考が定着していきます。

中学生に上がる頃にはもう、好き嫌いの感覚がはっきりとして本格的に何かに没頭する、という段階に足を掛ける子が多くなる。

昔から好きで描いてきた子と、なんとなく好きだなあとは思うけど趣味程度だしぃっていう子。

そして美術の時間に作品を作ると

上手い子との差に愕然として、自分には『絵の才能がないんだ』と思うようになる

高校生で音楽と美術を選択するときに、なんとなーく、もやっとした気持ちから、音楽を選んでしまう自分がいる。

社会人になり、説明がてら適当に書いた絵があまりにも酷過ぎて、逆に自虐ネタに持っていく能力に開花する。

っていうところでしょうか。

絵を描かなくなってしまった人が通る大まかなルートを書いてみましたが、なんとなく心当たりがあるな~っていう節があるのではないでしょうか。当たってるかわからんけど。

私は、そんな人たちに言いたい。

好きなのにどうして練習しなかった!と。

まあ、多分こう返ってくるんでしょうけど

・描いても上手くならなかったし。

・デッサンめんどくさいし。

・できることなら手っ取り早く上手くなりたい。

って。

そういう精神的・意識的な部分と、脳の仕組みもふまえて、私はある提案をしたいんです。

『カジュアルにアートを楽しむ』という提案を。

・色々な理由でイラストを描くことをやめてしまった方

・何から始めたらいいのかわからない方

・続くかわからないから、専門書を買う勇気が今ひとつでない。

 とりあえず、初歩的なことや、簡単なことをお金をかけずにやってみたい、または知りたい方。

・まず、描くという習慣をどう作ればいいのかわからない。

そういった悩みを抱えた方達向けの、初歩の初歩 講座を検討しています。今のところは。

こちらのコンテンツは、準備がまだ乏しいので、整い次第スタートになるかと思います。

note を始めるというのは、その提案の第一歩になります。

あと、小説を復活させたいっていう気持ちがずっとどこかにありまして。

もともと、Twitter や Pixiv、最近は Instagram でイラスト作品を公開しているのですが、文章の方はまだでした。

高校生の頃から、趣味の範囲ですが創作小説を書いていまして、ガラパゴスケータイ時代にWeb サイトを作って、そこでひっそり公開していました。

時代は流れ、今はスマホが主流の世の中に。

私のケータイサイトはネットの海の藻屑になって漂っているのですが、作品だけはスマホでも読めるようにできないかなあ、と思っていました。

なんだかんだで、少なからず作品に愛着があるのです。

そこで note を手に取ったわけです。

定期更新になるかどうかは、まだ検討中ですが、過去作品をリメイクして投稿していくつもりです。

もちろん、主力であるイラスト作品もアップしていこうと思っているので、見ていただけたら嬉しいです。

あと、これは個人的な実験的な感覚でやってみたいことですが、

最新の研究結果を織り交ぜながら、わかりやすくとっつきやすい美術史をまとめたいなあ~とも思っています。

なんで美術史かっていうのは、またその時になってからお話したいなと思います。

本当に個人的にのんびりやりたいだけなんですけども。

あと最後に正直な話をします。

正直な話ですね、絵はね、

とにかく死んで覚える、いわゆる『死にゲー』に近いです。

トライアンドエラーの繰り返しなんです、絵って。

何度も何度も描いて、おかしいとこを直して、また描いて__を常に繰り返して自分の中に経験値を積んでいくものなんです、絵って。

私自身も、ちゃんとした絵が描けるようになるまで、10数年の月日を、絵(とか別の創作物)に費やしたと思います。

もちろん描かない日だってあったけれど、物心ついて、気づいたら、ほぼほぼ毎日何か描いて、最近はむしろ、描かないと落ち着かないような人間になってしまったわけですが__

何が言いたいかといえば、

練習すれば、誰でも描けるようになるっていうことです。

もちろん、少ない回数で覚えが早くて、すぐ描けてしまう猛者だっていますよ。

年下で、高校生で、中学生で、もうこんなにクオリティーの高い作品が描ける子なんて、世の中にゴロゴロいます。

本当にすごいと思いますよ。

そういう子たちに共通してることってなんだと思います?

『好きだから』っていう至極シンプルな理由なんですよ。

好きなことだから、基礎練習も頑張れるし、上手くなるって信じてるから愚直すぎるくらい素直なんですよ。

才能っていうのは、誰しもが、必ず持って生まれてきます。

それが具体的になんの才能かなんて、はっきりとはわかりません。

ただ、みんな等しく持っているのは『好きなことを続ける努力』っていう才能です。

それがなかったら、今地球上に存在している様々な分野の進化や、発展なんて起こってないんですよ。

私の作品が、絵の才能による産物かと言われれば、それはおそらく違います。

才能じゃなく、描けるように練習をして、『創作』っていう応用問題に挑戦しているだけに過ぎないんです。

むしろ、私の才能っていうのは、作品を作ることへの執念とか、探究心とか、粘り強さになるんじゃないかと思います。

私は絵を描き始めたのと、文章を書くようになったのが小4・小5の頃からで、幸いにも(というとすこし棘が立ちそうな気もしますが)周りの友達が優しい子たちばかりでした。

昔から絵を描いたり、本を読んだりするのが好きだったので、見よう見真似で始めたのが最初でした。

みんなで楽しく絵を描いて交換しあったり、漫画を描きあったりしてのびのびと描いていたのを、よく覚えています。

担任の先生も、子供の気持ちを汲んでくれる優しい先生でした。当時、日記を書いて提出するっていう宿題が出せれていたんですけど、なんだか億劫で、簡単なお話(小説ともいえないような子供の作品なんですけど)を書けば、すぐにマスが埋まるんじゃないかって思ったのが始まりで、先生に褒められたから、単純に続けていたら、こんな人間になったんですけど。相変わらず、日々の日記をつけることが苦手なんですよねえ。

確かに環境に左右される部分は、少なからずあると思います。

私もネットを知ってから、世界には上手い人がたくさんいて、自分なんてまだまだだ。練習すればもっと描けるようになるかなと、挫折や自分の技術の無さに落胆した時もあったけど(今でもありますよ、上手い人見るともっと頑張ろうってめっちゃ思うので)

好きだったから、こんな年になるまでやってこれたとも思うんです。

今、自分の好きなことがなんなのかわからなくて、苦しんでいる人が多いなって思います。

日々の生活の繰り返しで、新鮮味が欠けていたり、周りの目を気にし過ぎたり、

働き過ぎて、何かに取り組むための気力や、体力が削がれてしまって、

カルチャーにとどまらず、すべてに対する意欲が、全体的に停滞気味なのではないかと思うんです。

とりあえず流行りに乗ってみるも、本当に自分がしたいこととは思えなくて

あれもこれもと手を出すけれど、心の奥まで満たされない。

もちろん、自分の好きなことをして生きている人たちもいます。

某有名Youtuberさんとか、その代表格ですよね。

じゃあ、その人たちと、自分は、何がどう違うんだろう。

それは、好きなものと、一生懸命に向き合う努力の差です。

あの人たちだって、酸いも甘いもたくさん経験してきたからこその結果が、今なのだと思います。

ただ、

すべての努力が報われるという、耳障りのいい言葉は、私は言いません。

私はそれをこの身をもって知っているから、悲しいけど、この世の真実の一つだと思っています。

それでも、諦めないでほしい。

誰かがきっと、見てくれているはずだから。

最初は周りから野次飛ばされて、下手くそ呼ばわりされても、

苦しくても、好きなことから逃げ出さずに熱中し続ければ誰だって

『天才』になれる可能性を持っているんです。

その『天才』は、この画面の向こう側にいる、あなたかもしれません。

もっと、自分の可能性に目を向けてあげてください。

そして、『幸せになる努力と覚悟』を持ってください。

不幸になんて、気を抜けばいつだってなれるんです。

大切なことは『探すことを諦めないこと』です。

そんな感じで、だいぶ熱のこもった話を長々と書きました。

まあ、いつかはちゃんと話そうとか、書こうと思っていたので、いい機会になったかなと思います。

平凡な、ただの人間の、しかもフリーターの説教じみた文章をここまで読んで下さり、ありがとうございます。

ブログも読んで、noteもチェックした、なんていう方、ただただありがとうございます。

コメントも随時、お待ちしておりますので、何かあればお気軽にどうぞ。

これからも文章とイラストを使いながら、皆さんにとって有意義な時間と作品を届けられるように頑張っていきます。

どうぞ、宜しくお願いします。

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