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楽園の終わり

  • Casper
  • 2016年8月7日
  • 読了時間: 11分

「へったくそな彼氏だな」

 俺ならもう少し焦らすけど。

 ていうかこんなドブ臭い場所でよくキスできるな。ムードのひとかけらも無えじゃねえかと思いかけてやめた。むしろそんなことは本能を目の前にした時、なんの意味もなさないのかもしれない。若さゆえかねえとかなんとか思う俺は、どうやらそのカップルたちよりも年を食っちまったってことらしい。まだ27なのに。

 ダウンタウンの中心街南端部。裏通りに入った途端、同じ地区なのかと疑うほどの別世界が、これでもかと言わんばかりに眼前に広がる。夜の歓楽街を飾る極彩色のネオンの数々が、その現実を疑うかのような異様さをより一層際立たせている。所狭しと立ち並ぶ雑居ビル、細い裏通りを行き交う男女、エキゾチックな看板__それら全てを照らしている。この見事なまでに浮わついた舞台演出に酔っぱらった、顔も知らない誰かが、今日もこの街のどこかへ消えていくことだろう。

「よっと」そう言いながら俺の隣に腰を下ろしたのは聖人だった。なんともよくわからない柄で、南国を彷彿させるアロハシャツを細身のパンツにタックインし、仕上げはラウンド型で硝子レンズの眼鏡ときた。ああ、こいつも若いなあ。

「少し遅かったのな、どうかした?」

「下でさ、酔っぱらった女の人に絡まれて」

 そうこぼす彼は適当にあしらって逃げてきたらしい。顔が整ってる者ならではの贅沢な悩みだな。女性からの誘いがない奴にとってみれば、拳の交えない冷ややかな戦いへの宣戦布告のようだと俺は思った。遅れた理由のもう一つとしては、俺との集合場所が常に雑居ビルの屋上である事も問題の要因のため強くは咎めない。

「……んまあ、夜は危ないからなあ、ここの地域は特にそうだし。いい男がいたら自然と女も寄るもんさ」

「そういうのいいよ。動きは?」

「これと言って目立った事はないな。ターゲットの親鳥、佐藤議員45歳は1時間前の21時にカップルズホテル『カサブランカ』へチェックイン。表の方から入ったとは考えられないから、おそらく会員限定のVIP専用入り口から。黒い帽子を被った20代前半の女性が、22時34分にホテル入り。ハッキングで店内の防犯カメラに侵入し映像を確認した、部屋番号は202号室、二階の左から3番目。各階に設置されてるカメラでも見たが、物を渡すのは確認できてない。事が終わり次第、部屋で受け渡しをするんじゃないか。報告は以上。映像確認するか?」

 俺が振った問いに対して聖人は見事に首を横に振って答えた。お前も一応、男のくせに本当に興味ねえのな、こういうの。別に悪いわけじゃないけど。

「まあ俺も無理に勧めないけどね、素人とおっさんのは特に」

「そういう問題か」

「そういうもんでしょ。鳴き方で燃えるか冷めるか」

「見過ぎなんだよ」

「目ん玉腐り落ちそうなほど見過ぎたせいで、こっちも困ってんのさあ」

 みんな、面白い話が好きだ。特にそれがサクセス・ストーリーだったらもっといい。だが話の良い部分を大抵の者はよく覚えていないものだ。みんながすかさず覚えるのは、二度も三度も転ぶ、人生の悪い部分の方だ。他人の不幸は蜜の味だと言われているくらい、人間は人の不幸が大好きだ。それが親密な人間関係を築いている者たちほど、快感だと感じるそうだ。そう感じるよう脳ができているのだという話を、ずいぶんと昔に聞いたが、そんな部分をカウントしなくたって面倒くさい生き物に変わりはない。もし知り合いに「こんなくだらない退屈な日々を変える術を教えてくれ」と言われたら、俺は、この欲望が具現化されたかのような街に一晩だけでもいい、誰かと共に夜を過ごす事を進めるよ。こんな街だ、きっと思いがけないようなストーリーを綴れるはず。退屈で平穏な日々がいかに幸せなのかを噛み締める羽目になるほどのね。

 申し遅れたがこの話の語り、俺こと__カラス(ってみんなから呼ばれている)は、この歓楽街地域を生活拠点にしているごく普通の人間だ(自分で言うのも呆れるが)。日中は近所のスーパーで働いている。毎日マスクをし、前髪をヘアピンでとめた貧弱そうな男だ。ただそれは世間一般用ってだけで、本業はこの中心地区の監視者だ。裏では『ステルス』なんて言われているが、そんな大層な名前だと荷が重いのが、俺の正直な感想だ。

 もちろんこの仕事は正規じゃない。裏界隈の業者からの依頼がほとんどだ。主に依頼者の指名した人物の行動把握、監視、というなんとも地味な仕事である。闇に足を突っ込んでるだけあって組織抗争に巻き込まれることもしばしば。そして何度か地獄を目の当たりにした事がある。もちろん俺は監視のみで、直接手出しはしていない。加わったところで事態が一転することが目に見えている。自分から面倒ごとを起こすのは俺のルールに反するから極力したくない。個人的に潰したい組に関しては『島』の実態把握と、麻薬密売ルートを一般人に成り済まして警察の麻薬捜査班に情報をリークしたりする。薄汚れてはいるが、俺なりの、せめてもの社会貢献ってやつだ。

「なあ」

「んあ?」

 向かいのビルを眺めながら聖人は口を開いた。

「死神がこの街に入ったって本当か」

 その問いに、俺はビル周辺一帯に向けていた視線を聖人の方に移した。足下に広がる電光版の光が、彼の顔を青白く照らしている。

「ああ」

「この間の電話で言ってた、俺が絡む案件になるってどういうことだ」

 俺は咥えていた煙草を口から離した。白い煙が立ち上っては消えていく。

「直接訊いたわけじゃないから断言はできないが、クローンのお前に関するのは確かだ」

 クローン。その存在の歴史は、この国ではまだまだ浅いものだ。

 30年前__国連により、全世界で原子力発電を除く核兵器の保有、製造が永久的に禁止され、核兵器保有国はゼロになった。先進国はこの取り決めで核兵器による威嚇も、牽制もできなくなり、事実上の核戦争は無くなった。しかし戦争自体が無くなったわけではない。これを機に別の武力抗争が起こるのではないかという予感は消えず、日本政府は牽制力を核兵器ではなく、あるもので補おうとした。それが20年前に立案された軍の秘密特殊部隊の編成__科学の進歩、その結晶『クローン』や『AI搭載のサイボーグ』による兵力の増幅だった。少子高齢化が進む国内では、毎月のように国会議事堂周辺で人権を強く訴える抗議団体によるデモ活動、追い打ちをかけるような世論の動きもあり、徴兵制が機能しなくなった現状の打開策でもあった。もちろん政府はクローンやサイボーグの存在を、今現在でも公表していない。どちらの技術もまだ大衆から認められていない為だ。

 俺がハッキングによって知っている限りの情報では、クローンの実験は約20年に渡り、期間ごとに区切られ、第4次まで存在している。公式記録が存在しているのはその第4次までで、これ以降のものは確認されていない。

 聖人は第4次に生まれたクローンのひとりだ。18歳の時に史上最年少で、特殊部隊の中でも200倍率という過酷な競争率を勝ち抜き秘密作戦部隊に入隊。その後5年間、部隊に所属していたエリートだったらしい。が、ある事件の真相を『偶然知ってしまった』ことをきっかけに軍を抜けた。抜けたというと語弊があるか。俺が聖人から依頼を受け、政府関係や軍の情報部で記録されている経歴を偽装し、殉職したことになっている。

「お前のさ、腕のそれ」

 俺は煙草を持つ指でそれ__聖人の手首に付けられている透明なバングルを指し示してやった。普通の男はこんな女みたいなアクセサリーは付けやしない。この透明な異物は『クローン』という人に限りなく近い者たちと人間との判別が視覚的にできるよう、付ける事を義務づけられた識別標で、体温により生死の確認がされている。自分では外す事ができない。聖人の話によれば、死亡が確認されたクローンのバングルは、軍の関係者によって回収されるらしい。ある特殊技術によって作られ、装着している者の身体能力、経験値、記憶を身体機能が停止するまでの瞬間まで保存し続ける__いわゆる外部記憶装置である。俺は聖人の経歴偽装の際に、バングルのシステムを書き換え死亡扱いにしてはいるが、記憶装置としての機能はそのままだ。

「あいつらが探してんのはこの中に入ってるデータで、俺じゃない」

 そう言うと、口元だけを微かに動かして力なく彼は笑った。視線を再びビルと真下の通りへ戻し、人の動きを眺める。ふと見せた顔は、なんとも皮肉めいていた。硝子のように綺麗なのに冷たく、鋭い空気を身にまとっているように俺の目に映った。

「アップタウンに組織があるんだろ、軍に関与してる可能性があるんじゃないのか」

「関与してるとしても、あの事件を見ただろ。殺されてんのはなかなかのお偉いさんだ。スポンサーを殺すことで利益が上がるとは到底思えない」

「敵を欺く前にまず見方からって知らないのか」

「そんなにこじれた案件かねえ」

 俺はそうぼやきながらイヤホンを耳につけ、ダイヤルを調整していく。

「まさかとは思うけど……聞くのか」

「一応仕込んでおいたからな、念には念を、さ」

 聖人は信じられないという目で俺を見ているが、俺だって聞きたくないものは極力聞きたくないが、仕事だから仕方が無い。お金が欲しいし、お金が無ければ生きていけない。なんとも無情なこの世のルールが、この界隈にいると痛いほどわかる。

 俺は手元のチューナーを調節し、声が聞こえてくるのを待った。

「おーおー、楽しんでいらっしゃるようで」

「おえ、趣味悪」

「まあそう言うなって。ほれ、これ使ってサツに連絡入れて。きっと到着までに時間かかるし、隠れる時間も必要だから逆算しないとな」

 俺はジャケットのポケットからプリペイド携帯を出し、聖人へ渡す。

「……演技苦手なんだけど」

「別にハリウッド並みの演技力なんて求めてないから安心しろ」

「いや、そういうことじゃなくて」

 しばらくの沈黙。

「……あー、俺の説明が悪かった。誰が電話を掛けたかなんて特定されないから安心しろ」

 俺の言葉をどこまで信用しているかはわからないが、聖人は寄せていた眉間の皺を緩めると、神妙な面持ちで番号を打ち、電話をかけた。受け答えの声はどこか気の弱そうなたどたどしい感じを目指したのか、隣で聞いていてとても面白い。

「……どうやら30分くらいで到着するそうです」

「あら、好い頃合いで」

 俺は聖人から使い捨て携帯を受取り、着けてたイヤホンを外した。警察が到着する前にこの場所から離れていなければ。

「さあて、後はサツに任せておいとまするかな」

 俺はすくっと立ち上がり、臀部に付いた砂埃を払いながら、

「そういやあ、俺、夕飯まだだったわ」

 と、なにかの思い出しついでのように呟いた。

「この案件の後に何か食えるお前の神経がわからない」

「まあそうは言っても、食わなきゃ生きていけないのも、これまた事実ってな」

 この世界はシンプルだ。

 食うものと、食われるものの二種類が存在しているだけ。

 もっと端的に言うならば、生きるか死ぬかの二つだけだ。白か、黒か。ただ、それだけ。

 そこに道徳やら倫理やら、よくわからない思想やらが入って話をややこしくしているだけであって、物事の本質っていうのは、紐解くと実に単純な構造だったりする。どちらでもいいなんてのは、平和的でも何でもなく、答えを出せない思考が辿り着いた『放棄』という選択肢でしかない。

「んで、どうすんの、夕飯。食うの、食わねえの」

 薄暗い雑居ビルの非常用階段を降りながら、俺は聖人に尋ねた。暗がりで彼の表情はわからないが、足取りから察するに、どうやら夕飯を食べる提案に対して否定的ではないらしい。

 階段を下り終わり、人通りが少なく細い路地を歩く。途中、裏通りに設けられたゴミ捨て場に用済みの携帯を放り入れ、我関せずという風を吹かせながら、ネオンの輝く大通りへと戻った。きわどい格好のお姉さんたちが甘ったるい声で、酔っぱらいのサラリーマンと戯れている様子を、どこか冷めた目で流し見ていた時だった。

「夕飯さあ」

「んあ?」

 聖人から不意に話を振られたために変な声が出ちまった。

「夜市行かね?」

「あー、隣町の?」

「そうそう」

「ん、いーよ」

 と、ただ、それだけ。

 それ以上の返事は必要ない。

「なあに食おうかなあ」

「胡椒餅美味いよ」

「ほんとそれな」

 人の波に押されつつ駄弁りながら最寄り駅に着いた俺たちは、一駅分の切符を買って改札口を抜けた。夜もそろそろと更けてきたというのに、駅のホームにはまだ沢山の人で溢れていて、どこか浮ついた空気がここにも立ち込めているように見えた。そんな軟派な空気を払い除けるかのように到着のアナウンスがホーム全体に響き渡った後、ブレーキ音と共に空気を劈きながら電車が入ってきた。くすんだオレンジ色のシートにもたれて眠る人たちの姿が、俺の視界の端から端へ、コマ送りの映画みたいに次々と流れていく。電車の扉が開き、降車する人たちとすれ違った後、適当に空いているボックス席へと腰を下ろした。向かい合う形で座ったがお互い口を開かずに、窓枠に頬杖をついて、発車するまでの間、ぼおっとだらしない表情をぶら下げて外を眺めていた。発車の合図がホームに流れた数秒後、ドアが閉まると、暗く深い夜の闇に向かっていくかのように電車は走り出した。窓の外、遠くに広がる無数の人工的な光に、俺は妙に安堵した。向かいの彼は何を考えているのかわからないが、闇の先を見つめるその瞳は、現実よりも未来を見ようと凝らしているかのようだった。

 到着駅が近づき、だんだんと生活感のある風景が眼前に広がり始める。人の気配を帯びてきたからなのか、寂れた車内の蛍光灯も、ほんの少しだけ明るさを取り戻した気がする。ホームに降り立った俺たちがまず目にしたのは、改札口前の電光掲示板だった。速報、という文字の後、佐藤議員(45歳)麻薬取締法違反で現行犯逮捕、という内容。俺と聖人は静かに顔を見合わせた後、素知らぬ振りで改札口を通った。まあ、正直なところ、誰も俺たちのことなんて気にしていないんだろうけど。

 
 
 

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